義足の研究開発を推し進め、「世界で最も速く走れる義足」と「ロボット義足」の実用化を目指しているのが、株式会社Xiborg(サイボーグ)の遠藤謙さん。ソニーコンピュータサイエンス研究所の研究員でもある気鋭のエンジニアです。慶應義塾大学大学院博士課程を中退、アメリカに渡り、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボバイオメカニクスグループで、人間の身体能力の解析や下肢義足の開発に従事。2012年、同研究グループでPh.D.。2012年、MITが出版する科学雑誌Technology Reviewが選ぶ35歳以下のイノベーター35人(TR35)に選出され、2014年には、ダボス会議ヤンググローバルリーダーにも選ばれました。
2017年、サイボーグが手がけた義足をつけたアメリカの陸上選手、ジャネット・ワレス選手が、100mで銅メダル、200mで金メダルを獲得。サイボーグの名前は一躍、世界に知られる存在になっています。イノベーターに向けて、エンジニアに向けて、仕事へのモチベーションアップを目指して、など講演フィールドも幅広い遠藤さん。2020年東京オリンピック、パラリンピックを控え、注目が大きく高まっている中、お話を伺いました。
バスケットボール部の後輩が、骨肉腫に
ロボット開発に従事され、その後はアメリカに渡って義足の開発へと踏み出されたのは、どんな理由からだったのでしょうか?
子どもの頃から、ミニ四駆やラジコンに夢中になっていました。モノを作るのが好きで、自然に進んでいったのが機械の世界だったんですよね。ちょうど二足歩行ロボットをいろんな会社が研究している時代で、かっこいいなぁと思って関心を持つようになったんです。そこで気づいていくのが、二足歩行している人間の足と、ロボットの足は、かけ離れた存在だということ。これを自分のこととして捉えることになったのが、仲良しだった高校時代のバスケットボール部の後輩が、骨肉腫になってしまったことでした。後に彼は足を切断することになり、彼がガンによって歩けるか、歩けないか、という状況になったとき、彼の足に役に立つ技術が二足歩行ロボットの研究では難しかったんです。もっと直接的に短期的に役立つものは何か、というところで、ロボット技術の延長線上に義足の研究があったんです。それで、歩行ロボットではなく、人間の足を作る、義足を作ることに興味を持ったんですね。
ロボットと人間では、足を作っている素材が違います。堅い部品を動かしてアクチュエーターを電気で動かすのがロボットの足。人間の足は骨のまわりに筋肉があって、モノを食べてエネルギーに変えて動かす。人工物を使って無理矢理動かす、という点で、まったく類似していないんです。究極的には人間の筋肉を作れないか、ということになるのかもしれません。
それで大学院の博士課程を中退して、アメリカ留学をされるわけですね。
2004年9月の終わりにロボット学会があって、MITから研究員が来ていたんです。彼らは、ロボットを使って義足を作っていました。ここで、事故で両足を失い、自分で義足の設計をしようと勉強し始め、研究の後に教授になったヒュー・ハーという人物のことを知るんです。聞くと、12月に大学院の出願締め切りがあるという。それで3カ月で準備したら合格してしまった。しかも、本当にヒュー・ハー教授の研究室で学ぶことができることになったんです。
日本にいたら経験できなかったことが、たくさんありました。特にダイバーシティ。日本にいると、日本人であることはマジョリティでしょう。でも、MITでは本当にいろんな国の人が留学していた。義足の研究室ですから、足のない人もいました。日本の研究室にいたら、まず出会わなかった人たちと出会えた。しかも、自分がマイノリティの立場で、です。前任者が医学部に行ってしまったことで、インドで義足を作るプロジェクトにも携わることになりました。本当にいろんな人がいること、いろんなことが起きていることを改めて知ることになりました。
アメリカでは、どんな研究をしておられたのでしょうか?
ロボット技術が最適な動きをアシストしてくれる義足の基礎研究をしていましたが、やはり課題は、筋肉と人工物の違いでした。筋肉くらいのパフォーマンスを発揮させるために人工物と使うと、すごく重くなったり大きくなったりしてしまうわけです。バッテリーやギアやモーターを入れると、足のサイズにおさまりきらない。従来の、メカの入っていない板バネと呼ばれる義足は、軽いんです。ただ、人間は歩くとき足首を大きく動かしますが、それがありませんから前に進みづらい。人と同じ速度で歩くには、他の部位を使わないといけませんから、とても疲れるわけです。後の2012年、この研究室から製品化が実現することになります。足首をアクティブにすることで、歩行がラクになる義足です。ヒュー・ハー教授が起業、製品として売り出されました。
僕が携わっていたのは基礎研究のチームでしたが、製品化は勉強になりました。製品になるのは、こんなに大変なのか、ということを学んだからです。FDA(アメリカ食品医薬品局)が求める条件を満たすために、臨床データを重ねる必要がありました。いろんなことを考えないといけないわけですね。訴訟に対して、どう対応していくか。体格の違う人がつけた場合をどう想定するか。本当にやらないといけないことがたくさんある。後にこの会社は、ドイツの大手義足メーカーのオットボクに買収されることになります。
起業がリスクとも思いませんでした
アメリカから戻って、2012年にソニーコンピュータサイエンス研究所のアソシエイトリサーチャーになります。これは、どういう経緯だったのでしょうか?また、なぜ2014年に起業されたのでしょうか?
3つやりたいことがあったんです。ロボット研究、インドでの活動継続、そして走るための競技用義足の開発です。この3つすべてをやりたくて、やれるところを探したら、ソニーコンピュータサイエンス研究所になったんです。テクノロジーで世の中をよくしよう、というのが研究所の目的。ソニーのプロダクトを作っているわけではなく、基礎研究を行っているんですね。それによって、世の中をどう変えるかを考えていく。ただ、ソニーで義足を作って売る、というのは、やっぱり難しいわけです。それなら起業しよう、と。
研究所に席を置いて起業する、事業化する、というのはまったく問題がない会社です。というか、むしろ所長の北野宏明さんに起業しなさい、と言われまして。所員に起業をさせるのが好きなんですね。背景にあるのは、自分で責任を負ってやる、ということの大切さです。僕自身、やりたいことを一番達成できそうなオプションが起業だったので迷いはありませんでした。ありがたいことに、起業のニュースは、日本経済新聞の夕刊の1面に掲載されました。これはソニーコンピュータサイエンス研究所にいたから、だと思います。
それにしても、起業とは大胆です。スムーズに行ったのでしょうか?
起業がリスクとも思いませんでしたので、やってみるか、くらいの感じでした。そんなに肩肘張ったりはしていません。実のところ、ソニーで研究する道もないわけではありませんでした。ただ、研究費には限界があります。僕は後々オリンピックやパラリンピックに関わるようなものを作りたいと思っていましたから、ソニーという名前があるとスポンサーは乗りづらいだろう、という思いがありました。また、大手電機メーカーがやることにアレルギーを持つ人も少なからずいるのではないかと思いました。オリンピックやパラリンピックに関わるとなると、いろいろ制限もあるんじゃないだろうか、と。だから、ソニーじゃない「箱」が必要だったんです。
ただ、実際には想像以上に難しさがありました。僕の思いに賛同してくれた為末大さん、杉原行里さんの3人で起業するんですが、自分たちではできないこともたくさんありますから、企業とのコラボレーションを考えていました。ところが、断られてしまうんですね。また、義肢装具の世界や陸上の世界にも、うまく溶け込むことができませんでした。やっぱり怪しく思われてしまったのかもしれません。まだモノを作っていませんでしたし。それで、ソニーの研究費を使いながら基礎研究をして、NEDOのスタートアップイノベータの制度を使い、自分たちで研究して製品技術を確立する道を選んだんです。
どんなところからスタートしたんでしょうか?
考えていたのは、いろんな人たちと一緒になって作っていく体制づくりでした。競技用義足を作るには、選手という協力者が必要でした。僕は競技用の義足が使われているところを実際見たこともないわけです。このとき、3人の選手が興味を持ってくれたんです。それは、為末大という元アスリートへの関心もあったのかもしれません。それからは選手たちのトレーニングを見て、走り方を見て、「こんなふうにしたほうがいいのでは」と選手と一緒に話しながら作っていきました。ただ、自分で作ってもうまくいかなくて。そんなとき、東レが協力してくれることになって、カーボンファイバーを使ってモノづくりが始まり、2016年に競技用の義足は製品化ができました。このときも、安全基準をどうするかなど、たくさんの課題に直面しました。そもそも基準がない。薬事法にのっとった医薬品ではないので、保険適応でもない。走って壊れたらどうするのか、どのくらいの安全率にしないといけないのか、自分たちで決めないといけなかったんです。東レも、それを決めてくれないと売れない、と。今までにない経験でしたね。カーボンの板バネの義足ですが、見た目は従来と一見、変わりません。でも形状がちょっと違うんです。また、選手によって微妙に違いを持たせています。
従来と似たものになったのは、どういう理由だったのでしょうか?
真似しようとしたわけではありません。僕たちは、走り方から形状を考えたんですね。速く走るためには、こういう走り方をしてみよう。こういう走り方をするなら、こういう義足がいい。3人が速く走るためには、どんな形状がいいのか、と。走り方から逆算して作った。結果、似たものになったというだけです。タイムは3人中、2人が上がりました。義足だけではなく、選手の努力も大きいと思いますが、チームで作った成果だと思います。新しい義足でしたが、周囲の反応はあまりなかったですね。僕は関係者がみんなで協力して、お互いに情報を出し合って、速く走れる義足が作れれば、と思っていました。でも、とてもそんな雰囲気じゃなかった。だから、そのとき自分たちでできることをやろう、としたんです。
2020年の東京オリンピックに向けて、健常者のオリンピック選手よりも速く走れる「義足で世界最速を目指す」プロジェクトを進められています。
2008年に、義足の選手が裁判を起こしているんです。パラリンピックではなく、オリンピックに出たい、と。実はMITは他の大学と共同でデータ解析を行っていたんですが、僕は義足をつけたほうが速くなると感じていました。義足をつけることで、筋肉が他の走る競技とは違う使い方になるからです。トランポリンは、地面から普通に跳ねるよりもたくさん跳べるでしょう。同じように、地面を蹴る力は義足をつけていたほうが有利なんです。バネが助けてくれるから。だから、地面を蹴るような走り方を意識したり、それに合う義足を作ることができれば、もっと速く走れると思ったんです。僕は研究者目線でそれを考えていたんですが、為末大は競技者目線で義足のほうが速くなると考えていたんだと思います。それで選手も一緒に研究できたら面白いぞ、と。
世界で一番有名な義足メーカーは2社、アイスランドのオズールと、ドイツのオットボクです。そしてパラリンピックでは、ほとんどの男子の選手がオズールの義足を使っているんです。世界最速を目指すのに、てっとり速いのは、速い人にはいてもらうことです。日本人の3選手は日本トップ3の選手でしたが、さらに高みを目指すには、一番速い選手にアプローチしたかった。でも、なかなか近づけないわけですね。知り合いにはなっても、僕たちの義足はそう簡単には履いてくれない。それで日本人選手でまずは日本一を目指そうと考えました。そしてこのうちの一人が、パラリンピックに出場するんです。結果は予選敗退。でも、18人の選手のうち、ほとんどがオズール。「Xiborg」なんてメーカーの義足は見たことがない。それで目立ったんですね。選手からも注目されるようになりました。それで、何人かの選手とつながることができました。
僕たちが考えていたのはチームでの開発です。だから、一緒に開発してくれる、一緒に考えてくれる選手が良かった。それが、アメリカ人のジャリット・ワレスでした。年3、4回、日本にも来てくれました。そして彼が2017年の世界陸上で、100mの銅メダル、200mの金メダルを獲得するんです。もっとアピールしたほうがいいのかもしれませんが、目指しているのは世界最速です。まだ通過点です。
これからは、チャンスは誰にでも巡ってくる
この先は、どんなことを目指しているのでしょうか?
世界最速を出して、一点突破型でブランドを作っていきたいですね。実際、ジャリットが世界レベルで活躍してくれて、広告塔の役割を果たしてくれています。会社のインスタグラムのアカウントは、世界の名だたる選手がフォローしてくれているし、コメントも書いてくれています。僕たちの義足を履きたいと言ってくれている。他の義足と何が違うのか、比較研究は実はできていません。その選手が速く走るためにはどうすればいいか、を走り方から考えているからです。義足を作るというより、選手を速くするプロジェクト。選手も共同開発者です。その意味で、量産するとか、会社を大きくするとか、ビジネスのことは考えていません。現象を起こしたいんです。儲けようとするのではなくて、実現させたい。F1と似ているかもしれないですね。やりたいことのために、受け皿を作る。そのために自分たちで頑張って、お金を集める。やりたいことのために、スポンサーを募る。こういう会社のあり方があってもいいと思うんです。
同時に「ロボット義足」の研究も進めているのですね?
はい。こっちはまだまだ時間がかかりますが、目指しているのは、障害者ができないことをできるようにするためにロボット技術を使うこと。できないことが、健常者と障害者の差を生んでいるからです。障害者が義足で世界最速で走り、健常者を打ち負かす、というのは、ひとつのフラッグシップでもあるんです。社会的弱者と思われていた人が、技術によって入れ替わるわけですね。それは、ひとつの社会への提起になる。ロボット義足も同様で、社会的意義があります。究極は、義足がまったく目立たなくなること。足のないことが、特別なことではなくなることです。
メガネはかつて、牛乳瓶の底みたいなレンズでした。子どもがかけていると、クラスでイジられたりしました。でも、レンズが進化して、今はそんなことにはなりません。メガネをかけることはごく普通です。目が悪いことに対して、誰もコンプレックスを持っていないし、メガネをかけている人に違和感も持たない。でも実はこれはすごいことなんです。目が悪いことが、テクノロジーによって、ある意味、問題ではなくなってしまった。車や電車のテクノロジーも同様です。ロボット義足を作ることで、究極的には足がないことが目立たなくなるようにしたい。義足をつけているとかつけていないとかが、どうでもよくなるようにしたいんです。
まったく新しい会社のあり方や、まったく新しいチャレンジをされています。そのエネルギーはどこから出てくるのでしょうか?
僕が人生で大事にしないといけないと思っているのは、好きなことだけをやっていたい、ということです。わがままですが、これは仕方がない。実は昨年の秋、すっかりやる気をなくして、仕事をせずに伊豆に引きこもってしまった時期があるんです。やりたくない仕事の割合が増えると、僕はパフォーマンスが恐ろしく落ちる人間だったことにその時気が付きました。仕事でいつの間にか新しいことに挑まず、予定調和なことばかりを求められ、辟易してしまっていたんですよね。だから好きなことをやり続けることが、僕の中では生き残る条件。自らそういう環境を作らないといけないんです。
それで誰もやっていなかったプロジェクトに挑むことにしました。ひとつは「義足の図書館」。他のメーカーの協力を受けられなかったので、クラウドファウンディングで資金を募り、1700万円を集めてラボにたくさんの義足を集めました。義足をつけている人は、走ることは当たり前じゃないんです。値段も高いし、子どもはどんどん成長していく。医療保険も適用になりません。そこで、走れる義足を世界で一番、試せる場所を作ろうと考えたんです。ラボのとなりには競技用の室内レーンがありますから、そこで自由に走り回っていい。子ども用の義足をたくさん用意しました。そうしたら、オリンピックの公式チャンネルに取り上げられたんです。取材で取り上げられて世界に発信されて。海外選手は来るわ、金メダリストが何人も遊びに来てくれました。
もうひとつが、「SHIBUYA CITY GAMES」。渋谷の街中のストリートで義足のアスリートが世界最速を競う。実は実際の競技を見る機会はなかなかないんです。だったら、真剣勝負を渋谷の真ん中でやってしまおう、と。交通規制をして、本当に賞金レースをやってしまった。大きな盛り上がりになりました。やっぱり新しいことを、好きなことをやらないと。会社や事業も同じ。投資を受けたり、上場したり、というだけがサクセスではないと思うんです。結果として、仕事に縛りが出てしまったりするなら、なおさらです。
最後に、メッセージをお願いいたします。
世の中で一番、称賛されるべきは、リスクを取っている人とモノを作っている人だと僕は思っているんです。世の中に価値を生みだしている人。エンジニアもそのひとつ。ところが、価値を生み出していない人が、メディアバリューを上げていたりして、ものすごくバランスが悪くなっている。これは、エンジニアがちゃんと声を上げられていないことにも責任があります。でも、僕でも、やりたいことをやれて、お金が集められて、好きにやれているんですよね。優れたエンジニアが中心になってやれば、もっともっと大きなことができると思う。エンジニアがもっともっと目立つ世の中になってほしいです。
もうひとつは、これからダイバーシティがどんどん進んでいったとき、しっかりパフォーマンスが出せる人材になっておかないといけない、ということです。健常者と障害者が近くなったりすることもそうですが、日本はこれからいろんなことを受け入れていかないといけなくなります。移民を受け入れない国、というイメージを持っている人も多いんですが、実は日本は海外の方にとって働きやすい国の1つだと思います。オーストラリアやカナダやアメリカよりも、労働ビザはおりやすい。1年、3年、5年とありますが、延長して残ることはそれほど難しくない。実際、コンビニにはたくさん外国人が働いています。語学学校に来て、卒業してから働き続けているケースが多い。今後は大学にもたくさんやってくるでしょう。外国人から見ると、日本は働きやすい国なんです。つまり、優秀な人材がたくさん入ってきて、国際社会に飲み込まれたとき、多様性を受け入れて、自分の武器をしっかり持っていないといけない、ということです。パフォーマンスが出せるようにしておかないといけない、ということです。僕はそのひとつのヒントは、好きなことであり、楽しく生きられることだと思っています。
そしてこれからは、チャンスは誰にでも巡ってくると思います。健常者も障害者も関係ない。面白い世の中がやってくるんです。
――取材・文:上阪 徹/写真:三宅詩朗/編集:鈴木 ちづる
遠藤謙えんどうけん
株式会社Xiborg代表取締役
慶應義塾大学修士課程修了後、渡米。マサチューセッツ工科大学メディアラボバイオメカトロニクスグループにて、人間の身体能力の解析や下腿義足の開発に従事。2012年博士取得。一方、マサチューセッツ工科大学D…
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